彼は、レノン亡き後その役割を引き継いだ。喜納昌吉は、日本インド国交樹立50年の記念イベントに彼独自のスペシャルブレンド、チャンプルーミュージックを運んできた。その夜の音符は、平和だ。チャンプルーズの意味を英語で解釈してみると、「セレブレーションブレンド」、「ミヅクスチャー」「インドのキチデイを日本スタイルで演奏したらどうなるか」、ジャズ、ポップ、レゲェ、ロック、フォークは、インドにも影響を与えている。
昌吉のバンド、チャンブルーズは1977年に「ハイサイおじさん」でデビューした。それ以前は、父とともにコザの米軍基地のそばでライブハウスを経営していた。昌吉はサンシン(三弦の伝統的楽器でバンジョーに似ている)を弾き、伝統的音楽も演奏する。彼は、今でも音楽を教える先人たちを尊敬している。初期のバンドは、兄弟姉妹で構成されていたが、現在は4人のメンバーと3人のダンサーが加入した。今回のショーでチャンプルーズのメニューが紹介されるであろう。それは沖縄伝統音楽から彼らのバンドスタイルまでのトータルなチャンプルーズスタイルだ。このような沖縄の新しい音楽は、第1次世界対戦の後にポビュラーになり、島歌が出現する。それが、踊りとして阿波踊りや佐渡おけさのように発展していく。沖縄音楽の基本的要素は、伝統的な琉球音階を用いながら、沖縄の歴史や社会の拝啓を表現している。昌吉は、沖縄をグラミー賞を受賞したライクーダーと共に紹介した。また、彼は様々な平和ムーブメントを起こし、世界のリーダーに「すべての武器を楽器に」、「核兵器を花火に」と訴えている。北朝鮮の食料危機には、アリランムーブーメント(アリランとは朝鮮の民族歌)として北朝鮮に米を送った。また、アトランタオリンピックでも歌い、ベトナムではマングローブの植林を行い、国連の沖縄親善大使の候補にあがっている。喜納は、戦争の負の遺産についてこう語る。ー沖縄は、広島・長騎への原爆投下の時、沖縄も同じように地上戦でたくさんの命を失った。彼は、インドについてこう認織している、「私は、インドで生まれたアヒンサーを探求している。もし私がアヒンサーのルーツにたどりついたら、この言葉を世界に広げることができる。」あなたも観客席に座り、平和について考えよう。
Give Peace a Chance